【コラム】D’Angeloの逝去に寄せて──ネオソウルの魂が遺したもの

2025年10月14日、音楽界にとって忘れがたい日となった。

ネオソウルの旗手として知られるD’Angelo(ディアンジェロ)が、膵臓がんとの闘病の末、51歳でこの世を去った。

彼の死は、単なる一人のアーティストの逝去ではなく、1990年代以降のブラック・ミュージックの革新を象徴する存在の喪失でもある。

Rest in Peace.
安らかにお眠りください。

教会から始まった音楽の旅

D’Angelo(本名:マイケル・ユージーン・アーチャー)は1974年、米バージニア州リッチモンドに生まれた。

教会音楽に親しみながら育ち、ゴスペルの影響を受けた彼の声は、若くしてその才能を開花させる。

やがてR&B、ジャズ、ヒップホップを融合させた独自の音楽スタイルを築き、1995年にリリースされたデビューアルバム『Brown Sugar』で一躍注目を集めた。

このアルバムは、従来のR&Bとは一線を画すサウンドで、ネオソウルという新たなジャンルの幕開けを告げた。
甘美なメロディとファンクのグルーヴが融合したタイトル曲「Brown Sugar」は、彼の音楽的方向性を明確に示す代表作となった。

音楽的革新──『Voodoo』と“ドランクビート”の衝撃

2000年に発表されたセカンドアルバム『Voodoo』は、D’Angeloの音楽的探求の頂点とも言える作品だ。

中でも「Untitled (How Does It Feel)」は、彼の官能的なボーカルとミニマルなアレンジが際立ち、ミュージックビデオの衝撃的な演出とともに話題を呼んだ。
この曲はグラミー賞を受賞し、D’Angeloの名を世界的に知らしめることとなった。

このアルバムの制作において、重要な役割を果たしたのがヒップホップ界の伝説的プロデューサー、J Dilla(ジェイ・ディラ)である。
彼の“ドランクビート”(意図的にリズムをずらした打ち込みスタイル)は、D’Angeloの演奏スタイルに大きな影響を与えた。
ドラマーのクエストラヴ(The Roots)は、J Dillaの打ち込みに合わせて“人間が機械に寄せる”演奏を試み、結果として『Voodoo』は従来のグルーヴとは異なる“ゆらぎ”のあるサウンドを生み出した。

ソウルクエリアンズ──共同体としての創造

D’AngeloとJ Dillaは、クエストラヴ、ラファエル・サディーク、ジェイムズ・ポイザーらとともに「Soulquarians(ソウルクエリアンズ)」という音楽集団に属していた。

このグループは、1999年〜2001年にかけて、Electric Lady Studios(ジミ・ヘンドリックスが設立したスタジオ)で数々の名盤を生み出した。

  • D’Angelo『Voodoo』
  • Common『Like Water for Chocolate』
  • Erykah Badu『Mama’s Gun』
  • The Roots『Things Fall Apart』

これらの作品には、J Dillaのプロダクションやビートメイキングが随所に活かされており、D’Angeloとの音楽的な相互作用が色濃く反映されている。

彼らの関係は単なる共演ではなく、音楽的哲学を共有する同志としての絆だった。

沈黙と復活──『Black Messiah』のメッセージ

2000年代以降、D’Angeloは長い沈黙期間に入る。

精神的な葛藤や健康問題が重なり、表舞台から姿を消したが、2014年に突如として『Black Messiah』を発表。
このアルバムは、社会的メッセージを込めた作品として高く評価され、彼の復活を強く印象づけた。

収録曲「Really Love」では、彼本来の繊細な表現力が光り、再びグラミー賞を受賞するなど、音楽的な成熟を示した

『Black Messiah』は、ブラック・ライヴズ・マター運動とも呼応する内容を含み、D’Angeloが単なる音楽家ではなく、社会的な声を持つ表現者であることを証明した。

彼が遺したもの──魂の遺産

D’Angeloの音楽は、時代を超えて響き続ける魂の叫びだった。

彼の死去に際し、家族は「世界中のファンにD’Angeloとして知られるマイケル・ディアンジェロ・アーチャーが、長く勇敢な闘病の末に天に召された」との声明を発表。
彼の音楽と精神は、今後も多くの人々の心に生き続けるだろう。

彼が遺した音楽は、単なる作品ではなく、人生そのものの記録であり、聴く者の心に深く刻まれる。

D’Angeloの声、リズム、そしてメッセージは、これからも私たちの中に生き続ける──それは、彼が音楽に込めた「魂」が、今もなお響いている証なのだ。

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