昨日10月30日、1975年から続いてきたスーパー戦隊シリーズが、現在放送中の『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』をもって終了するという報道を目にしました。 
テレ朝「スーパー戦隊シリーズ」放送終了へ | オリコンニュース(ORICON NEWS)
SNSでは驚きと悲しみの声が広がり、ファンの間では「信じられない」「受け止めきれない」といった反応が相次いでいるようです。
でも、ふと考えてみると、スーパー戦隊は単なる“子ども向け番組”ではありませんでした。 
それは、私たちの記憶の中に生きる“ヒーロー”であり、時代とともに変化し続けた“文化”でもあったのです。

🟦スーパー戦隊とは何だったのか?
スーパー戦隊シリーズの第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』が放送されたのは、1975年。 
当時は仮面ライダーやウルトラマンなど、単独ヒーローが主流でしたが、スーパー戦隊は「チームで戦うヒーロー」という新しいスタイルを打ち出しました。
赤・青・黄・緑・ピンクの5人が、それぞれの個性を活かしながら悪に立ち向かう姿は、子どもたちにとって憧れの的。
 「変身」「名乗り」「合体ロボ」「必殺技」など、今では定番となった演出も、このシリーズが築いてきたものです。
さらに、スーパー戦隊は“友情・協力・多様性”を描く物語”として、教育的な側面も持っていました。 
リーダーシップとは何か、仲間とどう信頼を築くか、困難にどう立ち向かうか――。 
それらを、毎週30分の中で自然に伝えてくれる存在だったのです。

🟨文化的背景:ヒーローは“社会の鏡”
スーパー戦隊は、時代の空気を敏感に反映してきました。
たとえば、1990年の『地球戦隊ファイブマン』では、主人公たちが教師という設定。
教育改革が進む中で、「知識と心を育てるヒーロー像」が描かれました。
2001年の『百獣戦隊ガオレンジャー』では、環境保護をテーマに、自然との共生を訴えるメッセージが込められました。
そして2020年の『魔進戦隊キラメイジャー』では、コロナ禍の中でも「創造力と希望」をテーマに、前向きに生きる力を子どもたちに届けました。
つまり、スーパー戦隊は“時代の価値観を映す鏡”であり、“社会と子どもをつなぐメディア”でもあったのです。
「ヒーローは、ただ戦うだけじゃない。その時代に必要な“心の在り方”を、静かに教えてくれる存在だったんだと思う。」
🟩終了の背景:時代の変化と制作の限界
報道によれば、シリーズ終了の背景には制作費と収益のバランスの悪化があるとされています。 
少子化による視聴者層の縮小、玩具販売の減少、そして動画配信時代の到来。 
従来の「毎年新作を作る」体制が、限界に達していたのかもしれません。
また、視聴スタイルの変化も大きな要因です。 
かつては「日曜朝に家族で見る」ことが定番でしたが、今ではYouTubeやサブスクで“好きな時間に好きな作品を選ぶ”時代。 
「毎週放送される新作」よりも、「過去の名作を繰り返し見る」スタイルが主流になりつつあるのです。
さらに、ヒーロー像そのものも変化しています。 
かつては「正義の味方」が絶対的な存在でしたが、今では「葛藤するヒーロー」「弱さを抱えた主人公」が求められる時代。 
スーパー戦隊の“明快な勧善懲悪”が、時代の価値観とズレ始めていたのかもしれません。
🟪ファンの声:終わらないで、でも受け止めたい
SNSでは、終了報道に対してさまざまな声が上がっています。
「子ども時代の思い出が消える気がして、涙が出た」 「息子が初めて憧れたヒーローが戦隊だった。終わるなんて信じられない」 「でも、時代が変わったのも事実。新しい形で続いてほしい」
— 北川景子/ Keiko Kitagawa (@KKeiko_official) October 30, 2025
こうした声に共通しているのは、「ただの番組ではなかった」という実感。 
スーパー戦隊は、親子の会話のきっかけであり、友達との遊びの中心であり、時には人生の指針にもなっていたのです。
そして何より、「ヒーローは自分の中にもいる」と教えてくれた存在。 
それが終わるというのは、単なる番組の終了以上の意味を持っているのです。
🟥“ヒーロー”は終わるのか?
スーパー戦隊が終わるとしても、“ヒーロー”が消えるわけではありません。 
むしろ、形を変えて新たなステージへと進む可能性もあります。
- 配信限定の短編シリーズ
- 過去作のリブートや再編集
- 大人向けのスピンオフ作品
- 地域イベントや舞台化など、リアルな場での展開
実際、仮面ライダーやウルトラマンは、世代別・媒体別に多様な展開を見せています。 
スーパー戦隊もまた、“テレビシリーズ”という形式を卒業し、次のフェーズへと向かうのかもしれません。
「終わることは、始まることでもある。ヒーローは、形を変えて生き続ける。」

🟦私たちにできること:記憶を語り継ぐ
スーパー戦隊が終わると聞いて、私が最初に思ったのは「語り継ぎたい」という気持ちでした。
子どもの頃、赤いヒーローに憧れて走り回ったこと。 
友達とロボットの合体を真似して遊んだこと。 
親になってから、子どもと一緒に変身ポーズを決めたこと。
こうした記憶は、番組が終わっても、私たちの中に生き続けるのです。 
そしてそれを語ることで、次の世代に“ヒーローの心”を伝えていけるのではないでしょうか。
地元の商業施設で戦隊ショーや関連イベントが開催され、ヒーローと握手した記憶、写真を撮った思い出――。 
それらは、地域とヒーローがつながっていた証でもあります。
🟨まとめ:終わりは、始まりでもある
スーパー戦隊シリーズの終了は、確かに寂しいニュースです。 
でも、それは「ヒーロー文化の終焉」ではなく、「新しい形への移行」なのかもしれません。
私たちがヒーローに憧れたように、これからの子どもたちも、きっと何かに憧れ、何かを守りたいと思うはず。 
その“心”こそが、スーパー戦隊が50年かけて育んできたものなのです。
「ヒーローは、テレビの中だけじゃない。私たちの記憶の中にも、日常の中にも、ずっと生きている。」

 
  
  
  
  

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